反応性流体のための量子コンピューティング

概要

化学反応と流体力学が密接に関連する現象は,反応性流体と呼ばれ,燃焼,プラズマ,核反応など, エネルギー変換や材料合成において非常に重要な現象である. しかしその解析においては,反応に関与する様々な物質を考慮するため変数が膨大になるうえ, 時定数が小さい現象(速い反応)と大きい現象(流体,分子拡散など)が同時に存在することにより 計算硬直性が生じるなど,計算コストが非常に大きくなる. こうした課題を突破する新しい計算基盤として,近年活発に開発が進み, 近い将来実用化が期待される量子コンピュータに着目した. 量子コンピュータは量子力学をベースに設計される計算機で, 線形代数の処理など特定の問題を従来の(古典)コンピュータよりも大規模かつ高速に処理できることが期待される. 量子コンピュータの動作原理は古典コンピュータとは全く異なり, その能力を引き出すには量子コンピュータに適した解析手法の開発が不可欠である. 本研究室では,燃焼現象などの反応性流体問題を対象に, 量子コンピュータ上で解析を高速化する方法について研究を進めている.

最近の研究

非線形化学反応場における線型化手法

化学反応は一般に非線形であり,量子コンピュータが得意とする線形代数の枠組みにそのまま乗せることはできない. 化学反応を表現する最も基礎的なモデルの一つが,アレーニウス式による反応速度の表現である. 例えば化学種AとBが1分子ずつ反応してCを生成するとき,化学反応は以下のように記述される.

A + B => C.

この時,単位時間・単位体積あたりの反応速度ωは以下のように表現される.

ここで, A0, Ea, R, Tはそれぞれ頻度因子,活性化エネルギー,気体定数,温度であり, [X]は化学種Xのモル濃度をあらわす. この式は,反応物の濃度が高いほど,また一般に温度が高いほど,反応が速く進むことを表す式である. この式から明らかなように,[A][B]のような濃度の積や,温度への指数依存など,様々な非線形性が登場する. そこで,これらの非線形な反応モデルを量子コンピュータが扱いやすい線型問題に帰着させる必要がある.

本研究では,その方法としてCarleman線形化と呼ばれる線形化手法に着目した. Carleman線型化は,非線形の単項式を基底に持つ拡張ベクトルを導入することで, 多項式で表現される非線形系を線型系として表現する手法である. 拡張により基底(変数)が増加するデメリットがあるが, 量子コンピュータでは多変数を同時に扱える可能性があるため, 非線形性を保持したまま線型系に落とし込めるメリットが生きると期待される.

これまでに本研究室では, (i) 温度を固定し指数依存を排除した燃焼反応への適用.さらに (ii) 温度依存をテイラー展開によって多項式近似しCarleman線型化を適用可能にすることで, 温度変化を伴う燃焼反応の解析へと展開してきた.

温度を固定した水素空気燃焼反応におけるCarleman線型化適用の検証.

温度依存を考慮したメタン空気着火現象における検証.

量子エミュレータの開発

現在の量子コンピュータはまだ研究段階であり,規模が十分に大きくないこと, ノイズが非常に多いことが課題である. 一方で,反応性流体のような大規模・高精度の解析に量子計算を利用するには, 将来的な高性能かつ大規模な量子コンピュータが必要になるが,現時点ではその水準の実機は存在しない. そこで,古典コンピュータ上で量子回路を模擬的にエミュレートすることで, ノイズのない量子回路の計算を行うことができる. これにより,アルゴリズム由来の計算精度やエラーを,実機に起因するエラーと切り離すことができ, 実機で実行した際のエラーの原因をより明確にすることが可能となる. 本研究室ではこれまで,多くの量子アルゴリズムの基盤になる量子位相推定(QPE)に着目し, その量子回路をGPU上で高速かつ効率的にエミュレートするアプリケーションとして開発した.

GPUを利用したQPE回路の量子エミュレーションのベンチマーク結果.

関連する最近の成果

  • Akiba, T., Morii, Y., Lee, M., Maruta, K., and Suzuki, Y.,
    "Efficient evaluation of Arrhenius rates for quantum computing applications in reactive flow problems using Carleman linearization,"
    Proceedings of the Combustion Institute 41, 105918 (2025).
  • Akiba, T., and Morii,
    "GPU Benchmark through QPE Emulator with cuQuantum for Practical Quantum Applications,"
    arXive:2507.17175 (2025).

最終更新: 2026-01-30